ウエストンの足跡を訪ねる山旅第1弾(2004年7月)は、奥穂高南陵の登攀、這松の強烈な薮漕ぎには泣かされましたが、トリコニーの快適な岩登りを楽しめました。 第2弾(2006年10月)は、横尾本谷右股から槍ヶ岳を目指しましたが、生憎の初雪に見舞われ本谷カール手前で敗退。 今回(2008年9月)は第3弾として小渋川から南アルプス赤石岳に行ってきました。 ウエストンの著書「日本アルプスの登山と探検」には赤石山(あかいしさん)として登場、当時はユバ(湯場)と呼ばれていた小渋の湯から小渋川の遡行を開始し、右岸にはナナカマという見事な滝が雛壇のように繋がって本流に流れ落ちていると書いてあるが、現在は七釜橋の少し下流にダムが出来た為かその様な滝は見あたらない。 右岸からは板屋沢が流れ込むが河床が上がり埋まってしまったのだろう。 |
やがて峡谷は二叉に分かれた。一つは、正面のスロープの木立の中へ入ってしだいに消えてゆくが、もう一つは、今までよりも谷幅がひろがり、遙か左の赤石の西の麓まで行って小渋川の水源になる。 この二つの川の出合は広河(ヒロカワ[原文のまま])と呼ばれ、この出合の角にある松の生えた険しい出尾根が、めざす赤石の西の斜面への登り口であると書いてあり、この尾根を登り十時間で赤石岳に登ったようです。 近年赤石岳に登るルートとしては、大井川上流の椹(さわら)島からのコースが殆どですが、ウエストンに拘って飯田付近で天竜川に流れ込む小渋川から挑戦しました。 とは言っても、全く同一ルートでは面白くないので、広河原から以前鉱山道であった福川右股を遡行し百間洞最低鞍部に這登り、県境稜線から赤石岳を目指す周回ルートを計画しました。 |
古い地形図では点線が書かれていましたが、現在は勿論廃道となり地形図からも消えています。年間で2乃至3パーティ位しか入っていないと想われるマニアックなコースです。 日本登山大系南アルプス編にも紹介があり、福川左股は沢登りの対象で6時間で百間平に出るとあり、右股はガレ沢で5時間で百間洞に至ると紹介されています。 小渋川は、荒川前岳の崩壊壁から大量の土砂が流れ込み、ガレた灰色の河原が続き滝も無いが、大雨の度流れも変わり登山道が一定しないコースで、案内には二十数度の徒渉が在り雨天時は入渓を控えるようにと紹介されています。 |
稲美町役場駐車場を参加者4名(大西敏・大西真・森安・雲水)で20時出発、三木小野ICから中央道松川ICで高速道を降り、JR伊那大島駅を通り天竜川を渡り小渋川沿いに大鹿村大河原へ走り、大西公園で仮眠を取る。 大鹿村観光のHPによれば、大西公園は、南信州を代表する桜の名所として知られており、村の中央を流れる小渋川の左岸にある大きな台地にあり、公園に上がって眺めれば、目の前には南アルプス赤石岳が、眼下には小渋川と点在する集落を望み、桜の開花時期に見られる残雪の赤石岳と満開の桜の織り成すコントラストは写真愛好家にも人気のスポットだそうです。 この台地は昭和36年の集中豪雨による大西山の崩壊堆積地であるという悲劇の歴史を持っていますが、その後公園として整備され現在に至っています。 夜中に着き公園に入ると日本カモシカが沢山散歩中まるで奈良公園状態、その中にある立派な野外ステージの舞台でシラフに潜り込む。 |
翌朝薄暗い中出発し、小渋川林道を走りゲートのある湯折に到着、軽い朝食を済ませ準備を整えゲートを越えて林道を歩く。 地形図に温泉の記号がある所が昔の湯場跡で、ウエストン一行はここから6時頃出発し十時間を費やして赤石岳に登った様です。今はその上に林道が通っており見ることは出来ません。 暗いトンネルを抜けると登山届ポストが在り計画書を投函、少し降ると赤いアーチ橋の七釜橋。この手前からダムで広がった河原に降りる。 沢靴に履き替えいよいよ遡行開始、期待と不安を胸に第一回目の徒渉。水温は冷たくは無く水量も膝下位で少ないようだが、流入する土砂のためか少し濁っている。 初めはだだっ広い河原を歩く。左岸より棒沢が流入する所からキタ山沢まではゴルジュとなり、この辺りから徒渉を繰り返すようになる。 |
要所要所にはピンクのテープやケルンがあり難なく通過、やがて右岸から大きな滝が掛かる沢が流入、これが紹介されている2段直瀑「高山滝」だ。 休んでいると後から男女二人組が追いついてきた。聞けば広河原から大聖寺平を目指すそうだ。 この先で左岸からキタ山沢が流入すると川幅が広がりゴルジュを抜けたようだ。想っていたよりも簡単すぎて拍子抜け。 正面には赤石岳への稜線が仰ぎ見られると、河原の石に赤ペンキで印があり、地形図にあるルートに出た。 左岸からはキタ沢がガレ沢となって合流すると沢は大きく左に折れ、本岳沢が左岸より流入。合流点の岩の上に広河原小屋への標識が立っており数分で広河原小屋に到着、外見から想像するより内部は小綺麗で立派な小屋である。 ウエストン一行が登った時代には勿論小屋などは無かっただろうが、この小屋の後ろの尾根に取り付いたのでしょう。 |
現在のルートは、小渋川の水源になる沢を少し遡り、尾根の斜面を利用して尾根に上がるようになっている。 小屋の周りにはヤマブドウやサルナシなどの果物がびっしり、小屋の中央に土間があり両脇に板張り。30名ぐらいは泊まれるようだ。 ある記録にはスズメバチの巣が天井に在ると書いてあったが、確かに蜂の巣は有るが蜂はいないようだ。 ここから山靴に履き替え、沢靴など不要な装備を小屋にデポし、本岳沢を少し辿ると左岸から福川が出合う。 本岳沢を徒渉し福川に入る。 大きな滝は無いが小滝や倒木が多く岩も滑りやすそうだ。登山靴の仲間は滑る岩に苦労しついには登山靴のまま流れを渡っている。 小滝を幾つも越えるたびに高度が上がり1850m付近の二股に着く。滝を掛けて合流する右股へは左側から小さく巻き上がる。 |
右股を更に詰めると左岸から岩壁を割ってルンゼが合流、ここには百間洞へと書かれた赤いペンキが岩の上に残っていた。 この地点から傾斜角40度ほどのガレた斜面を百間洞最低コルへ登り詰めるのだが、ガスで上部は判らず大凡の見当を付け、時より小雨がパラつく中灌木を頼りに薮を攀じて行くが、地形図からは想像できない小さな枝尾根が在ったりでルート取りが難しく、想った以上に時間が掛かる。夕暮も近いので見切りを付けビバークを決意。 40度ほどのガレた斜面にテントを張る場所など全く無し。 少し大きめの安定した岩を見つけガレキを集め整地し4人が座れるだけの平らなスペースを作りビバーク場所とする。 |
全員の水を集めてお湯を沸かし、少量の行動食を摂る。寝てる間に落ちないよう立木に自己ビレーを取りテントのフライを被り長い夜を迎えた。 予報では翌日は雨でしたが、心配した雨は少しパラッと来た程度で夜中は晴れ渡り、中秋の名月の月明かりの中、澄み渡った星空に山々のシルエット浮かび上がり、昼間とは違った風景に感動すら覚える。風もなく寒くもなく意外に快適な一夜でした。 翌日は、明るくなってから行動開始。 地形から判断すると右側に寄り過ぎているので、左側へ獣道を利用してトラバース、微かな踏み跡と赤いペンキを確認し、先行者が残した鉈目を追い、2時間弱の薮漕ぎでついに稜線に飛び出た。 |
尾根からは赤い屋根の百間洞山の家が眼下に見え、無事登り切ったことを確認。水の豊富な小屋まで降り昨晩の夕食を作り空腹を満たす。 予定が遅れたため今日の行程を、赤石岳を越え荒川小屋までに変更。残念ながら本日登る予定の荒川三山は次回にと諦めた。 小屋から一般登山道を快適に歩き赤石岳へゆったりペースで登る。 百間平付近は秋の三連休なのに人に会うことが少なかったが、赤石岳に近づくに従い登山者とすれ違うことが多くなり、山頂には沢山の登山者が展望を楽しんでいた。 頂上直下には、新しく立て替えられた赤石岳避難小屋が在り宿泊も可能とのこと。 山頂到達を祝いビール一本で乾杯。展望は360度、聖岳に続く南部の山々、荒川三山や北部の山々が見えるが、富士山は雲の中残念でした。 大勢の登山者に混じり三千mの稜線漫歩、展望を楽しみながら大聖寺平を経て荒川小屋で幕営。 |
最終日は、ウエストン一行が登った広河原から大聖寺平コースを降る。 新装なった荒川小屋のテン場からは、富士山が朝焼けの空にシルエットとして大きく見えた。 白峰三山縦走の時も天気が良く、縦走中ずっと富士山が見えたが、今回は最終日に見ることが出来た。 2700mの大聖寺平から1490mの広河原まで標高差千二百メートルを一気に降る厳しいコース。 降る道すがら正面には中央アルプスの峰々、右奥には槍から穂高連峰が雲海に浮かび、振り返ると荒川前岳のギザギザの稜線が眼前に拡がる。 急なガレ場を慎重に降り、ダケカンバやナナカマドの樹林帯に入り暫くで不思議な地形に遭遇、ウエストン一行が昼食を摂った船窪(フネクボ)と呼ばれている所、山の斜面に窪みがあり細長い船の様な地形ですが、朽ち果てた一斗缶が苔むした窪みに転がっていたのが気になりました。 |
かのウエストン一行は、赤石岳に午後4時頃登頂し、頂上で雷を伴う夕立に遭いその場から逃げ出し、北の肩(今で言う小赤石岳の肩3030m)を午後6時通過し、狭い谷をつめた所にある岩の陰で水も薪も有る大きな岩室に向かったと書いてあるが、6時半には暗くなり、水の涸れた険しい川床を手探りで降り午後7時に目的の岩室に着き飯を炊いたらしいが、果たして今の何処なのか? 地形図と書いてある内容から推定すると、小赤石岳の肩からだまし平を経て大聖寺平に降りる現在のルートではなく、だまし平から直接赤石の西の尾根(斜面)を降ると本岳沢右岸の支流がP2698へ伸びている。 この沢の2400m付近には岩の記号が二つ有り、ここが岩室ではないかと考えます。 彼らも一晩のビバークで雨が上がり星が瞬いたそうだが、場所こそ違え我々も彼らと同じことを体験したようで因縁すら覚えます。 |
彼らは、翌朝峡谷を登って再び赤石の西の斜面に取り付いたとき、長大な鋸の歯を並べた様な駒ヶ岳(木曽駒)の稜線が天竜川の西に堂々と連なって見え、その北の肩に飛騨山脈(北アルプス)の峰々がはるばると続き、槍ヶ岳の尖鋒が青空を背にしてひときわ高く、くっきりと聳えていたと書いていますが、まさに彼らが見た風景を、時を大きく経た今、我々も同じ風景を見ることが出来たのは嬉しい限りです。 我々も、尾根を更に降り続け脚が痛くなる頃やっと広河原小屋に到着、再び沢靴に履き替え、小渋川の徒渉を繰り返し、七釜橋からは林道を歩き湯折ゲートに午後12時半無事下山することができました。 そしてウエストン一行も同じルートを辿り午後1時に湯場へ帰り着いた。 現在彼らの泊まった「湯場」は無く、下流に在る小渋の湯「赤石荘」展望露天風呂で疲れを癒し、渋滞を抜け午後八時前小雨降る稲美町へ帰着しました。 |
予想以上にハードな山行で、計画通りの山行が出来なく同行の皆さんには申し訳なかったが、私自身は達成感のあるまた記憶に残る良い山旅と為りました。 ウエストンの足跡を訪ねる山旅シリーズは、先人達が苦労して登頂したルートでその山に登ってみたいと想って始めた山旅です。 次回は何処にしようかと文献を読み、ルートを探すのも楽しみの一つです。 彼が旅をした時代と違い、装備や道具も進歩し随分と便利になっています。その反面、新しい道が出来た為もう廃道になって辿ることさえ難しくなっているかも知れません。 こんな山旅ですが、これからも続けていきたいと願っています。 |
参加者 CL雲水・SL大西敏・森安・大西真 計4名 |