神戸FAC2007年夏の山行として、扇沢起点の黒部源流域完全遡行を行い尚かつ裏銀座縦走も併せて行うと言う壮大な計画が発表になった。日程は盆明けの15日夜出発の3泊4日プラス予備日の予定である。 幕営装備と沢装備に4日分の食料を担ぎ、難関の黒部上の廊下の激流に立ち向かい、果たして全員無事に帰還できるのか。走破する距離も二万五千図5枚を要する計画である。 薬師沢出合いから奥の廊下と呼ばれている黒部川源流域は、三年前に辿ったことはあるが、鷲羽岳を源として三千メートルの頂を連ねる剱立山連峰と後立山連峰の真ん中を貫いて流れ降る日本有数の急流「黒部川」を最後まで辿るという以前からの夢がここで叶えられる計画に、躊躇無く参加を申し込んだ。何故なら自称沢屋の藪山雲水としては何をおいても挑戦しなくてはならない憧れの一つなのである。 |
今回の山行のため沢靴を新調し、長い縦走をこなすため脚外側の靱帯の衰えをサポートしてくれるCWXプロフェッショナル仕様のストッキング(価格は驚きの6千円)も準備。 勿論テン場でのイワナ釣りのテンカララインもフライ仕様に変更、自分で巻いた毛針も準備した。 自分自身の弱点である水分補給も縦走中を除けば周り一面水が豊富にあり問題点はなし。 前置きはこれくらいにして、稲美町組は、中国自動車道宝塚付近の帰省ラッシュを避けるため土山ICから阪神高速・名神高速を利用して午後9時に出発、生憎阪神高速も渋滞気味おまけに吹田付近でも渋滞に巻き込まれ2時間近く掛かり草津SAに到着。慎吾さんや吉則さんを迎えに寄った義晴さんら4名と遅れて合流。参加者8名2台に分乗し適宜運転を交代しながら中央道を経て扇沢ターミナル到着。 夏山シーズンを迎え車の数が多く既に車は満車状態、空きを探し無事駐車。軽く朝食を摂り装備の分配を済ませ登山届を提出し始発のトロリーバスで出発。 |
第一日目 快晴 大勢の観光客に混じり関電の長いトンネルを抜け終点のダム駅で降り徒歩でダムに向かう。黒四ダムの湖面は減水のためか普段より少ないようである。 黒部に向かう登山者は我々以外に十数人ほど、一目散にダムを渡り視界から消えた。我々も後に続き平の渡しを目指し出発。 渡しの時刻は12時、これに遅れると後の行程に支障が出るので余りゆっくりもしておれないが、綺麗に整備された遊歩道のような湖岸道路を進む。 「ロッジくろよん」の前を通り立山から流れ降る御山谷手前の沢で最初の休憩。真っ青な夏空の日差しを身に浴び女性陣は日焼け対策に余念がない。 平の渡しまでの左岸には大きな沢が2本注ぎ込むが、このバックウォーターは非常に大きく対岸までの距離は僅かだが回り込むのに時間が掛かる。小さなルンゼを渡るにも梯子の登り降りの繰り返し意外と疲れる。 結局平の渡しまでに要した時間は3度の休憩を含め3時間20分。12時の渡し船には十分間に合った。 減水のため船着き場は遙か下になっており、仮設の階段を下り出発時刻まで斜面にザックを下ろし待機、予定時刻を少し過ぎ船頭さんが現れ乗船開始。 搭乗者は我々以外に先行パーティの他数名、非常にゆっくりしとしたスピードで湖面を渡り針ノ木側へ舳先を付けた状態で下船。 水平道までいきなりの急階段で息が切れそうだ。 |
ここから奥黒部ヒュッテまでは右岸を辿る。大きな沢の流入はないが湖岸は急斜面で崩壊が激しく木製の階段や梯子の登り降りに意外と時間が掛かる。 下に見えるバックウォーターも暫くで終わり河原が続く。一度休憩をしただけで長かった湖岸道も広い河原の中を進むようになると東沢に出合い、橋を渡ると奥黒部ヒュッテ前の広場に到着。キャンプ場になっており既に2張りのテントがあった。 河原の縁で沢装備に着替え、いよいよ黒部本流に降り立つ。本来ならここから徒渉が始まるそうだが今日は水も流れていない。ちょっと拍子抜け、記念撮影を終え遡行を開始する。 暫くは水の無い河原を行く。沢音が一際大きくなると蛇行して流れる黒部本流にぶつかる。朝から6時間ほど掛けてやっと待望の黒部に脚を浸す。 久しぶりの水の感覚に熱さを忘れる、ざぶざぶと流れに入り最初の徒渉、深さは膝下。 渡っていると後ろで「キャー」なんと二人がバランスを崩し流されそうになっていた。いきなりの黒部の洗礼、さぞ冷たかったことでしょう。 広い河原を進むと左岸からボサで覆われた熊の沢が出会う、ここが第一日目の予定地。 左岸に少しだけ砂地があり本日のねぐらに到着。早速テントを2張り設営、薪を集める者食事の準備をする者等、手早く準備完了、後は竿を持ってイワナとご対面の筈であったが結果は全員坊主、残念ながらメニューに一品加えることは出来なかった。 |
第二日 快晴 本日は上の廊下の核心部、下の黒ビンガ、口元のタル沢ゴルジュ、上の黒ビンガを突破する行程である。 期待と不安の入り交じった気持ちで出発、軽いへつりを繰り返し両岸が狭まる様相に下の黒ビンガが近づいたことが判る。 「ビンガ」とはこの地方の呼び方で岩壁のこと、黒い岩壁が河原から一気に立ち上がり威圧的な風景が立ちはだかる。 川幅も狭くなり流れも激しくなる。膝くらいの深さでも二本脚で水圧に必死で耐えバランスを崩さないよう徒渉しなくてはならない。安全のためザイルを付けてトップが対岸へ渡る。後続はザイルに助けられ渡るのだが、8名全員渡りきるのに時間が掛かる。 時には泳ぎを強いられることも屡々、これを何度も繰り返す。雪解け水を集めた黒部の水は手を切るようなと表現される冷たさ、この冷たさも遡行を困難なものにしている。 日の差さない薄暗い廊下で何度も水に浸かると体温を奪われ歯の根も合わない。 モンベルの沢用の下着を身につけ薄いウエットシャツで寒さ対策を万全にしているとはいえ、何度も泳ぎが続くとさすがに堪える、時折差し込む日の光の有りがたさが身に染むのは私だけではないようだ。 沢用の装束を持たない仲間は堪らず上下にカッパを着て対応しているが、水の中では体に張り付いて動きづらいことだろう。 |
下の黒ビンガを抜け右岸から口元のタル沢が流入するとその先になおも狭まった最難関のゴルジュが待ち構える。黒部川が僅か4〜5メートルほどに狭まり水量によっては突破不可能と言われている。 義晴さんから以前来たときは天候が悪く大高巻きを余儀なくされた場所だとのこと、今日は水量が少ないので果敢に挑戦する。 先頭を行くメンバーがトライするも水圧に耐えかね押し戻される。経験者の義晴さんは胸まで浸かり僅かな手掛かりを巧みに利用し遂に突破に成功。 さすがリーダー、後はザイルに確保され無事全員通過。 磨かれた岩はツルツルで僅かな手掛かりすら見出せない、少しでも岩から体を離すと水流に押し戻される、僅かな段差を越えるにも水圧のため脚を上げることすら難しい。 この段差をクリア出来ると上体が水中から幾分か出る、これに比例して水圧が減少するので後は力任せに進み、流れが緩やかになった頃足が立たなくなり最後は泳いで岸に這い上がり終了。 水量がもう少しでも多かったら果たして突破出来たやら、少なくて本当によかったと思った。 ここは全員無事通過したが、すぐ上の徒渉で誰かが「流された」と叫び声が聞こえた、一気に緊張が走る。 慎吾さんが流されたのだ。幸い何とか這い上がり事なきを得た。 |
最大の難所を越えメンバーに笑顔が戻る。開けた河原で日差しを浴びながら暫し休憩。 黒部上の廊下のなかで一際広い河原を行く、以前此処には「黒5(黒部第四ダム上流の第五ダム)」と呼ばれた自然のダムが有ったところだ。 スゴ沢から土砂が流れ込み廊下を堰き止めて出来たそうだが今は無い。 明るい河原を進み両岸が狭まるようになると上の黒ビンガが始まる、下の黒ビンガや口元のタル沢を通過した我々には指したる難所ではないが際どいヘツリや高巻き懸垂下降を交え右に左にと何度も徒渉が続く。 時刻も3時を回りそろそろ寝場所を見つけないといけない頃左岸から雪渓の残るガレた沢が流入、金作谷出合いに到着。 時間があれば今後の予定を考えるともう少し先まで行きたいところではあるが、出合いの河原は広く高台によいテン場もあり本日の行動を打ち切るとリーダーから告げられる。 ほっとする間もなく野営の準備を手分けして進める。 暫くすると上流から4人のパーティが下ってきた。このパーティも此処で野営をするようで、薪を集めたりと準備を始めた。 義晴さんは早速竿を片手にイワナを釣りに出かける。今夜は旨いイワナが食べられると期待したが、残念ながらこの日も坊主に終わる。 |
第三日 快晴 金作谷出合いからすぐにゴルジュが始まる。いきなり胸まで浸かっての泳ぎである。 網代笠を被って泳ぎ始めるがザックが笠の後ろを押し上げるので前が見づらくなる。 二回目の泳ぎの前に笠をザックに括り付けたのだが、ヘツリや徒渉を繰り返している内に紐が解け笠を落としたらしい。最後尾を歩いていたので誰も気がつかず残念ではあるが取りに戻るわけも行かず諦めるしかない。 源流釣り師で「渓語りの翁」として名高い瀬畑雄三さんを真似て風情のある沢登りを実践しようと今年の沢上谷の沢から使い始めた網代笠だが、柿渋を何度も塗り重ね渋みの増した笠になり気に入っていただけに残念だ。 沢もこの辺りまでくると幾分水量が減ったように感じる。 エメラルドグリーンの淵や白く磨かれた岩は相変わらず綺麗だ。 金作谷出合いからすぐのゴルジュを遡行中木を燃やしたような匂いが気になっていたのだが原因がやっと判明。遡行者が燃やしていた焚き火の消え残りがあり早速火吹き竹で火を熾し冷えた体を温める。 出会った二人組も又下って行くそうだが、最近の傾向として沢降りが増えたのだろうか。 |
苔苔小谷が右岸から流入、立石と呼ばれている所だ。 すぐ上流に素晴らしいテン場があった。前日あわよくばここまで行けてたらと思ったが、2時間以上掛かっていることを考えれば金作谷が正解ですね。 小さなゴルジュを抜けると右岸に「立石奇岩」と名付けられた岩塔が現れる。写真でしか見たことの無かった本物にご対面。写真を撮り急ぎ足で薬師沢出合を目指す。 右岸から次々と沢が流入、名のあるE沢・D沢・C沢を併せ尚もヘツリや徒渉を続ける。 左岸をヘツッていると最後には懸垂でしか降りられない地点に到着。支点には最近付け替えられたと思われる真新しい捨て縄が残置されてある。これを利用して懸垂下降。降りたところがB沢出合いの対岸である。 昨年いなみの夏合宿で通ったところだ。薬師沢小屋から黒部川を降りA沢出合からB沢出合にかけて鎖が岩壁に設置されているのが対岸から確認できた。 |
A沢出合上部の河原でコーヒータイム。此処までくれば後は問題なし。 大東新道をとおりやっと薬師沢出合に到着。大勢の登山者の注目を浴びる中をそそくさと小屋前を通り過ぎ、小屋から見えなくなったところで一本立てる。 薬師沢から源流域は幕営禁止区域、監視員が時折遡行者にルートを尋ねるそうで今回も義晴さんが尋ねられ、五郎沢を詰め上がると答えたそうである。時間も押しているので先を急ぐ。 赤木沢手前のゴルジュから竿を出す。ここからは渓流釣りを楽しみながらの遡行となる。 裕美子さんにとっては初めての黒部、赤木沢出合で記念の写真を撮り、遅れ気味の私と二人五郎沢出合まで先行する。 疲れた足を引きづりトボトボと歩くのが精一杯、何とか五郎沢出合まで辿り着くも完全にグロッキー。 残りのメンバーは釣りをしながらでも出合到着はほとんど同時に近かった。成果も一人1匹あてのイワナをゲット。 早速唐揚げにして頂く。いつもながら義晴さんの腕前と自然の恵みに感謝。 |
今回最後の焚き火の用意をする、盛大な焚き火にしようと頑張って流木を集め準備完了。 イワナの味噌汁付きの夕食を食べ暗くなるのを待って点火、沢のフィナーレを飾っての盛大な焚き火を囲み山談義に花が咲く。 沢屋憧れの黒部上廊下を遡行することが出来たのもCLをはじめ全員の協力が無ければ達成出来るものではなく、幾度となく山行を重ねお互いが信頼してこその結果であり、感謝の一言に尽きる。 明日は最後の力を振り絞り怪我無く下山をするだけ、満天の星空を眺めながら決意を新たに就寝。 |
第四日 快晴 黒部の流れも此処までくれば明るく開け、斜面に広がるお花畑を眺めながらの遡行となる。 祖母沢・祖父沢をすぎるとやがて雪渓が現れるが前回の時よりは雪渓も小さいようだ。 沢は傾斜を強めぐんぐん高度が上がっていく、三俣蓮華から落ちる沢の出合を過ぎ、更に登ると雲の平への登山道が沢を横切る、ここから上は沢沿いの道を登るようになる。 沢から大きく離れる前に靴に履き替え、一段と重くなったザックを担ぎ黒部源流を目指す。 先頭から離されないように歯を食いしばり遅れぎみながらやっと源流部に到着。 思えば黒四ダムを出発して三日間黒部の急流を遡り、四日目にして漸く辿り着いた黒部川源流、本当に疲れました。 眩いばかりの夏の日差しを浴びた三俣蓮華岳から黒部五郎岳の稜線が眼前に広がる。見慣れた景色ではあるが今日ばかりは一段と輝いているように映る、達成感に浸りながら眺める景色は少し違って見えるのだろうか。 残りの行程を考えると余りゆっくりもしておれない、重い腰を上げ最後のザレた斜面を一登りで岩苔乗越に到着。 ここからは黒部源流を囲む山々が見渡せる。 遙か遠くに大きな薬師岳に金作谷のカール、雲の平に高天原、水晶岳にワリモ岳。記念写真を撮り裏銀座と呼ばれている尾根ルートを辿り水晶小屋まで更に登る。 |
水晶小屋では缶ジュースを一気飲み、これから辿る裏銀座の山々が遙か彼方まで連なっている。 地図上では大した起伏は無いようだが、実際は小さな上り下りが沢山あり疲れた体には堪える道だ。 右側には昨年の5月に辿った槍ヶ岳から続く北鎌尾根、その手前には赤茶けた硫黄尾根、左側には黒部湖と立山連峰、正面には野口五郎岳に烏帽子岳、この素晴らしい展望も疲れた我が身には楽しむ余裕さえ無くただ黙々と歩くのみ。 東沢乗越まではほぼ降り野口五郎岳までは登りが続く。 真砂岳分岐までの途中で足を何かに引っかけ頭から左側斜面へ突っ込む。咄嗟に岩を掴み這松の上を滑り落ちるのを免れたが眼鏡が飛び脛を強か打ったようだ。 遭難の記事で中高年の登山者の滑落が多いと書いてあるが、まさか私がこんな目に遭うとは思ってもいなかっただけに途惑いを感じた。 落ちた場所が這松の上で掴む物が有ったのでこれ位で済んだが、もし岩場のガレた斜面だったらと思うと運の良さに感謝。 「運の問題ではなく実力が無いのだ」との指摘を頂き、体力・持久力の不足が全ての原因大いに反省。 |
予定では、野口五郎岳・烏帽子岳を越え北アルプス三大急登の一つブナ立尾根を下山するのだが、後数時間で降り切ることは無理なので、真砂岳・湯俣岳経由で湯俣へ降りることに変更になる。 このコースとて簡単ではない、通常なら4時間半ほどで下れるのだが天候や疲れている場合はそれ以上の時間が掛かると分岐点の立て看板に注意が書いてあった。 午後2時を過ぎ南真砂岳への道すがら夏山恒例の雷雲が発生し夕立に遭遇、カッパを着る。暫くで雷雲も去り日差しが戻ると高瀬ダム方面に綺麗な虹が架かる。見上げる虹はよく見るが、足許に見える虹は珍しい。 道は森林限界を超え樹林帯の降りとなる、湯俣岳へはほんの少しの登りだが疲れ切った私には本当に辛い登りであった。 ゆっくりと休まず一歩一歩登って行くと三角点のある湯俣岳に到着。私と私に付いてきてくれた一典さん以外全員が既に到着し休憩中、ここからは降りだけだと励まされ最後の休憩をする。 |
ここからが本格的な降り、今までと一変し急な斜面が続く、滑らないように足許に最善の注意を払い湯俣温泉を目指し淡々と下る。 裕美子さんが降り斜面で足を滑らせヒヤッとしたが大事には至らず、少し荷物を減らし下って貰う場面もあったが夕暮れ間近にやっと湯俣に到着、本当に長い降りでした。 既に夕闇が迫り今日一日で下山不可能と判断、名無沢出合の避難小屋に泊まることになる。 予定遅れの連絡を湯俣山荘から連絡。暗くなった林道を小一時間歩きやっと小屋に到着。土間付きの8畳綺麗な小屋でした。 予備食で夕食を済ませ就寝。本当によく歩きました。 |
第五日 快晴 残った行動食で朝食を済ませ2時間の林道歩き、長いトンネルを抜けると七倉ダムに到着。運良くタクシーが一台待っており扇沢まで車を回収に乗り込む。 もう一台を呼んでもらい待ち合わせ場所の大町温泉郷「薬師の湯」へ。全員が揃い温泉で疲れを癒しさっぱりして帰路につく。 運転を交代しながら渋滞にも遭わず無事加古川帰着。 憧れであった黒部上の廊下から源流まで辿ることが出来、本当に満足で充実した山行となりました。 イワナを釣ることは出来なかったが、三日間もの長い間黒部の厳しさや美しさの中に身を置き、無我夢中で楽しみ、全身全霊を傾けた思い出深い山行となりました。 装備や食料の軽量化にも工夫をし軽くしたつもりでも、日程が長くなるに従い体力の消耗とエネルギーの補給のバランスが逆転し、余力を持って縦走出来なかった。今回も自分の体力の無さを感じました。反省。 私にとっての憧れは、まだまだ沢山有りますが、体力と相談しながら憧れを追い求めて行きたいと思っています。 CLの義晴さんをはじめ参加メンバーの皆様には多大なご心配をお掛けし申し訳ありませんでした、今後ともよろしくお願いします。合掌。 |
参加者 CL義晴・SL慎吾・吉則・一典・明宏・裕美子・武子・雲水(記録) 計 8名 |